アーティスト
川島桃香 / Momoka Kawashima
● 主な技法:絵画、インスタレーション、戯曲、詩
「還る」という言葉には、不在が前提として立ちはだかっている。しかしそれだけではなく、生と死の二項対立の中で、そのどちらも選択しない間に滞留することを許容する言葉のように思う。だから、不在を最も美しい形で直視させてくれる。
私の制作において、「君」と呼ばれる他者は、常に不在の存在である。絵を描き、その形象に「君」と名付けてしまえば、「君」は確かに視認ができ、触れることさえできる物質と化す。しかしその姿は実体のある「君」へ届くことは決してない。「君」に向けられた私的感情と選び取れなかった言葉の集積が、支持体の上で層を成すたび、本来の「君」とは異なるものに変形させられていく。絵を描けば描くほどに、私は「君」を失い続ける。「君」の輪郭を覚えていないにもかかわらず、「君」は線の内側にいるのだと盲信して、線の際を整え続けてしまう。この行為に意味などない。
今回出展する3作は、2022年に開催した初個展「わたしは、海に、還った。」を基点に、「還る」という言葉を再解釈しながら、かつて描くことができなかった海を描き出そうとした試みである。この海は、ガラス飛散防止シートや、壁保護シートといった、抗えない不幸に対して事前に向き合い、その後も生存を選択する決意を持つ人が手に取る素材を支持体とし、描画されている。それは、無意味な描画行為を守るためでもあり、同時に描画行為を続けることによって不在を抱え続けるのだという選択そのものでもある。
生きることそれ自体は素晴らしい選択ではないかもしれない。それと同様に、絵の具や線の蓄積を「君」と呼ぶための描画行為を続けることも、素晴らしい選択ではないかもしれない。それを理解しながらも、私は不健康な選択を続けていたいのだ。
「君」のことを、信じている。「君」の何を信じているのかと問われてしまうと、その解は不明瞭ではあるが、「君」のことを、信じていたいと思う。そのために、「君」のいない世界で、「君」のことを選択し続けたい。仮にその存在が不在であろうとも、私は、「君」のことを、信じている。
そのために、「還る」という言葉を手がかりに、不在を正面から見つめてみようとした。それが、いま私が「君」のことを信じているということの、たったひとつの証明であるのだと、信じている。
川島桃香 Profile
2000年 広島県生まれ
◆受賞歴
2024 「Limelight 2024」 Under30部門 グランプリ
2024 「IAG AWARD 2024」 入選
2022 「TURNER AWARD 2022」 未来賞
2022 「新県美展(第74回広島県美術展)一般部門 絵画系」 入選
2021 「Light Art 21/22」 カタエ企画賞
2021 「広島県 Web公募美術展 一般部門 絵画系」 特選
2021 「広島県 Web公募美術展 一般部門 映像系」 優秀賞
◆展示歴
2025 個展「花葬 / 人間に愛されなければ、今もまだ生きていただろうか」OM SYSTEM PLAZA Creative Wall・OM SYSTEM PLAZA Creative Vision(東京)
2025 「恋の画塾 成果発表展」 とりでアートギャラリー(茨城)
2024 紫尾アートプロジェクト AIR成果発表展「今この瞬間に私が、他でもない私が、ただ生きていることの弁証を君は何ひとつしてくれないけれど、君が生きてきたことの証明を、私は今ここで再生することができる。」紫尾神社(鹿児島)
2024 「IAG AWARD 2024」 東京芸術劇場 ギャラリー1&2(東京)
2024 「SICF25」 スパイラルホール(東京)
2023 個展「じゃあ、いくか?ああ、行こう。ふたりは動かない。沈黙。」aL Base(東京)
2022 個展「わたしは、海に、還った。」タメンタイギャラリー 鶴見町ラボ(広島)
◆インフォメーション
川島桃香は、「喪失が生じた後においても、実体のない他者を愛し続けることは可能か」という問いを起点に、絵画・インスタレーション・詩・テキストを主軸とした制作を行っている。
川島の作品において「君」と呼ばれる存在は、特定の個人ではなく、喪失の記憶の総体として立ち現れる。他者の不在は、どのように私たちの内部に留まり、変容し続けるのか。その問いを抱えながら、「君」に向けた作品を作り続けている。
「君」を記憶し続けるために作品を作ることは、同時に「君」の意味を変容させてしまう行為でもあるだろう。形あるものとして留めようとすればするほど、「君」は作品という物質の中で定着し、その姿を変えてしまい、かつて生きていた「君」そのものではなくなってしまう。
しかし、それでもなお、「君」の不在を形にし続けることに執着したい。その行為がたとえ記憶の変容を招くとしても、今もなお愛している「君」という代替不可能な存在を、この世界に刻みたいと願っている。