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池袋アートギャザリング公募展
IAG AWARDS 2022 EXHIBITION
22/05/20[金]-22/05/25[水] @ 東京芸術劇場 5F Galllery1&2

「IAG AWARDS」は池袋の街とアーティストをつなぐ「池袋アートギャザリング(IAG)」が企画運営する公募展です。
今年から新たに、アートの新たな地平を目指し、展示する漫画=「漫喜利」部門と「音源指定映像部門」を新設!
全国からの応募者約450名の中から、現役アーティストを中心とするIAG審査員たちが
ジャンルや年齢を問わず50名前後の精鋭アーティストたちを選抜、東京芸術劇場に集結いたします!

河端 政勧 / masayuki kawabata 

● 主な技法:

『生命について』

ウイルス感染拡大が毎日報道される中、人の命の重さを肌で感じる気がしました。
好きなアーティストも、身近にいる人も、世界中の人々が感染し命を落とす人もいて、国からは自粛要請がある中で、とにかく外出を控えて誰にも会わないようにしながら、ただ生きていく。
そんな中、少しでも身体を動かさないとと思い、散歩がてら近くの公園に行くと花が咲いていました。
それは、とても生き生きと咲いていました。
その光景を見た時に、生命のエネルギーを感じ、生命のありようを表せないだろうかと、2つの絵を同時に制作しました。

「いのちのあかり。」は、質感を丁寧に観察し、絹のような肌を表そうとしながら、その花自体が命の灯りそのもののように描きました。
一方、「いのちのありか。」は、激しく動いて乱れているように表そうとしながら、命は決して触れられず、むしろ行為そのもののように描きました。
2つの絵の中にあるスケッチのような線は、制作中に脳裏に巡った記憶を元に描いています。

今までの生活様式がどんなものだったのか、今では遠い昔のように感じますが、自分も含めてあらためて生命のことを考えるきっかけになれば嬉しいです。

河端 政勧

河端 政勧 Profile

岡山県生まれ

東京造形大学絵画専攻 卒業

◆受賞歴
2022年長亭GALLERY展2021/東京 入選
2021年 FACE2022/東京 入選
2021年 SHIBUYA ART AWARDS 2021/東京 佳作
2021年 全日本アートサロン絵画大賞展/東京 入選
2021年 世界絵画大賞展2021/東京 入選
2021年 第39回上野の森美術館大賞展/東京 入選
2021年 ACTアート大賞展/東京 優秀賞
2021年 清須市第10回はるひ絵画トリエンナーレ/愛知 佳作

◆展示歴
2022年「FACE2022」SOMPO美術館/東京都新宿区
2022年「長亭GALLERY展2021」長亭GALLERY/東京都中央区
2021年「第39回上野の森美術館大賞展」上野の森美術館/東京都台東区
2021年「ACTアート大賞展優秀賞受賞者展」The Artcomplex Center o館/東京都港区
2017年「感覚と世界が近づくために」(個展)点と未来デザインラボラトリー/東京都調布市
2016年「調布会」ギャラリーみるめ/東京都調布市
2015年「Buy Now展」GalleryK/東京都中央区
2010年「a means scattering ceremon(豆まきと手段)」Gallery Objective Correlative/東京都新宿区
2009年「いつ仕事はパブリックになるか?」Gallery Objective Correlative/東京都新宿区
2008年「vision」相模原市民ギャラリー/神奈川県相模原市

◆インフォメーション
『作品制作について』

「中心のない世界」をキーワードに絵を描いています。
中心のない世界って何だろうと考えた時、私が思いつくのは記憶です。
記憶とは、見たもの・感じたことを自然に覚えて、それらを使って日々の生活を送っています。しかし、記憶がどうなっているのか見たり確かめたりすることはできません。そして、リンゴ一つを思い浮かべても人それぞれの記憶は微妙に違いがあると思います。
しかし、そのような記憶は、曖昧だけど確かにあるものと言えます。その捉えどころの無さとして、何を中心とすれば良いのか分かりません。

そして、花をモチーフにしています。 花の中心(メシベやオシベがあるところ)を画面からはみ出すように構成します。これは、ゲルハルト・リヒターの《Betty》という作品からヒントを得ました。 《Betty》は後ろ向きの女性の姿を描いている絵画で、私はこの女性を「不特定多数」の 人として見ることができると思います。

この「中心のない世界・記憶・不特定多数」というテーマを軸にして制作しています。


『社会との関係について』

今日のデジタル時代、世界は手のひらにある。
スマホをいじれば、人も建物も景色もあらゆるものが手のひらサイズで現れる。
同時に、あらゆるものは流れるように変わっていく。

その中、確かなものは何かと考えてみた。
それは個々の内面にある記憶ではないかと思う。
個々の記憶そのものが確かなものではないかと思う。
記憶とは何か。
記憶は、いつ覚えたものかも自分では分からないが、決して他人に奪われる事のできないもの。
私達はその記憶を使って日々過ごしている。
そして、記憶には中心がないように思う。
記憶がどうなっているのか確かめることができないからだ。

今のデジタル時代も似たように思うところがある。
現実の世界が中心だとすれば、だいぶデジタルに偏っていて、何を中心に生きているのだろうかわからなくなる。
スマホやパソコンで、いつでもどこでも必要な情報はすぐ手に入る。
遠隔操作はもちろん、体内の情報も入手でき、リモートワークも当たり前となった。
生活用品のデジタル化で、時短という言葉も耳にする。家事をする時間を短くすることだ。
そして、時短できた時間をスマホを使ってさらに情報を得ようとしたりする。
また、それら人間の行動を、AIが統計してデータ化する。
人間の行動はデジタルで管理され、時短でできた行動記録はAIでデータ化される。
つまり、何でもかんでも効率化で手間がなくなり、簡素化していく世界が今なのだろう。

私たちの生活環境はデジタル化・データ化されていくことで、私はこの世界は架空世界であるかのような錯覚を起こすことがある。
それは、現実とデジタルの境目がわからなくなる時だ。
しかし、すでに現実とデジタルを分ける必要もないのがこの世界なのかもしれない。
そのような混沌とした世界を、私は「中心のない世界」と呼んでいる。