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池袋アートギャザリング公募展
IAG AWARDS 2023 EXHIBITION
23/05/14[日]-23/05/24[水] @ 東京芸術劇場 5F Gallery1&2

「IAG AWARDS」は池袋の街とアーティストをつなぐ「池袋アートギャザリング(IAG)」が企画運営する公募展です。
2022年からは、アートの新たな地平を目指し、展示する漫画=「漫喜利」部門を新設!
全国からの応募者約550名の中から、現役アーティストを中心とするIAG審査員たちによって
ジャンルや年齢を問わず選抜された50名前後の精鋭アーティストたちが、東京芸術劇場に集結いたします!

川原井 康之 / Kawarai Yasuyuki 

● 主な技法:リトグラフ、ペン画

版画作品においては「流れ」をテーマとして、自然物をモチーフに制作しています。
例えば、私達は現在それぞれ個人として存在していますが、遠い先の未来においては、ある一時代を生きた人々として一緒くたにされ、時代という流れを構成する一つの粒子として扱われます。また、その遠い先の未来のさらに先の未来においては、私達を観測した未来も同様に一緒くたにされ、全てが次の流れの一部となります。
これは時代だけでなく、山や川といった自然物にも同じことが言えます。一つの山を構成するものは無限の粒子です。その粒子を指して私達は山と認識することがあまりありません。あくまで単なる粒として扱います。また、山も長い年月の中で形を変え、流れの中でいずれ消えていきます。その儚さ、やるせなさ、健やかさである「流れ」を、自然物をモチーフにして描いています。
ペン画作品においては、ペンの短い線や点での表現と、手彩色による色味を組み合わせて描いています。今回は迷った時に訪れる「家」をテーマとした作品を展示しています。

川原井 康之

川原井 康之 Profile

1997年 東京都生まれ

2019年 東京造形大学 卒業

◆受賞歴
2017.第6回FEI PRINT AWARD オーディエンス賞
2023.IAG AWARDS 2023 EXHIBISION 奨励賞

◆展示歴
2017.第6回FEI PRINT AWARD
2018.第62回CWAJ現代版画展
2018.第43回全国大学版画展
2022.第1回FEI PURO ART AWARD
2022.第65回CWAJ現代版画展
2022.第10「ドローイングとは何か」展
2023.第21回AGH展
2023.セミナリヨ現代版画展
2023.IAG AWARDS 2023 EXHIBISION
2023.第90回記念版画展

◆インフォメーション
私は東京都青梅市で育ち、現在は埼玉県所沢市に住んでいます。
版技法とペン画をそれぞれ用いてファインアートを制作しています。大学在学時にリトグラフ技法を学び、現在は創形美術学校の版画工房などを利用して制作しています。
ペン画は、版画工房が利用できない時に自宅で作っています。
「流れ」をテーマとした作品について
私はどんなものも細かな個の粒子の集合によって形成され、またその集合が個となり…というスパイラル構造をもって「流れ」を構成していると考え、その個が失われる儚さ等をテーマとした版画作品を主につくっています。それは物理的な意味も含み、また時間や空間といった概念的な意味も含みます。例えば、私達は個々人として確かに存在していますが、マクロで見ると時代という流れを構成するものとして、個が排され一緒くたにされます。そうした個が消える儚さ、やるせなさ、あるいは健やかさを、山や川といった本来移ろいにくい自然物を敢えてモチーフに選んで描いています。

「家」をモチーフと作品について
数年前から、家というものについて考えるようになり、リトグラフなどで制作するようになりました。短い線の筆致で、主に一戸建てを描いています。これはもう一つの「流れ」というテーマの作品とは異なった価値観で描いています。
私が家について考えるようになったきっかけとして、家を購入したことが挙げられます。それまで私は一年ほど現在の妻とアパートで同棲しており、その更に前は実家で暮らしていました。ですので、家というものを所有する、ここに住んでいる家は私とその家族のものだ、という実感は最近できたもので、家を描くようになったのもここ数年のことです。
家を買い、家が有するモノとしての機能について考えることが増えました。その中で、特に外界と内側とを区切る境界としての意味合いを気になりました。家には、社会を断絶し(もし二人以上が家の内側に存在する場合であれば)内部で新しい社会を形成する役割があります。この内なる社会は、塀や扉といった物質の強度に関わらず、私達が境界としての役割を諒解したものによってのみ守られています。つまりそれは紐や枠線といった一見頼りないものでもその機能を果たします。そして、それらによって内と定められたものは外界からは認知し得ない、あるいは認知してはいけないものとして扱われます。
だとすれば、家として認められたモノの内は、暗闇のようなものではないかと私は思うようになりました。しかもそれは、見知らぬ家だけでなく、内部の状態を知っている自分の家についても同じことが言えるような気がします。私が現在住んでいるマンションの一室を私は隅々まで知っている訳ではありません。朝に出掛けて夜に帰ってみると、全然家の様子が違うと感じることもあります。それは単なる家具の配置の違和感に過ぎなかったりするのですが、簡単に家が変容しうるという意味も含まれているようで、不可思議のような、不気味なようにも思えます。
こうしたところが気になり、私は家を描いています。一戸建ての古民家ばかり描いていますが、それは古民家には物語性を感じられて好ましいためです。